Home
カンパーニュ、美味しく焼けました!
タク【20100117】 | 日々の記憶

今日は、現代手づくり玩具館のおもちゃづくり&カフェの日。
白井ちゃんといっしょに玩具館でカンパーニュ(丸いパン)づくりとコーヒー焙煎をしました。
あ、もちろんおもちゃづくりもしたのですが、これはマサ子と玩具館の先生が二人でせっせと。

カンパーニュを焼くのは今回で4回目ぐらいなんですが、これまでで一番うまく焼けました。くるみとレーズン入り。ダッチオーブンの加熱温度をいつもより高めにして(つまり炭をたくさんのせて)、焼いてみると、外側がカリッと、内側はしっとり、ほんとに美味しかった。

来月のおもちゃづくり&カフェの日は2月7日(日)です。
宇治市炭山でのんびりとした休日をすごしてみませんか。
興味のある方はまるネコ堂までご連絡を。

育つ道具
タク【20100111】 | 日々の記憶

今年に入ってマサ子が土鍋でご飯を炊くようになりました。これまでに何人もの人から、「土鍋のご飯はおいしい」と聞いていたのだけど、いざ食べてみるとまったくもって同感、ものすごくおいしくて毎食お代わり人生です。どうしももっと早く始めなかったんだろうと悔やんでしまうほどのうまさ。

さて、土鍋で炊くようになってから、どうしてもほしいと思うようになった道具があります。

おひつです。

炊き立てのご飯をそのまま土鍋に入れておくと、火を消してからも土鍋の余熱でおこげが増えていくし、なにより鍋が水分を吸収しないので、せっかくのご飯が鍋の場所によってべちゃべちゃしてきてしまいます。そういう難点を解決してくれるのがおひつ。

そこで、おひつについて調べてみたら、これがなかなか素敵な道具でした。

使い始めはご飯粒がこびりつくので、ぬらしてから使い、当面は白米や玄米、麦ご飯といった油分のないもので育てるらしい。やがて、表面につやが出てくると、こびりつかなくなってくる。そうすると炊き込みご飯や酢飯を入れても、色が悪くなるようなことはなくて、半年ほどで釜揚げうどんや素麺の器にも使えるようになるんだそうな。見た目だけでなく機能も向上していくのはすごいです。曲げわっぱのおひつの情報だけど、江戸おひつや関西おひつでもある程度同じなんじゃないかな。

最近、似たような「育つ道具」を見つけ愛用しているものがあります。ダッチオーブンです。炭で煮炊きする鉄鍋だけど、これも使っているうちに、鍋の表面に酸化鉄の皮膜(黒錆)ができて、鍋の色が黒光りしてきて、やがて愛用者の間で「ブラックポット」と呼ばれるような「強者」になるんだそうな。こうなると、食材がこびりつきにくくなるし、たとえこびりついてもたわしでこすればすぐに落ちる。また、鉄ならではの弱点である錆にも強くなる。これも育つ道具の典型といえそう。

「育つ」といえば、陶磁器は使っているうちに貫入(かんにゅう。釉薬に入った小さな網目状のひび)に茶渋などが入って綺麗に網目が浮かび上がって味わいが出るし、漆器は艶が出て肌の透明感が増してきます。他にも使っていると手になじんできたりする道具はあって、でも結局、美とか手になじむといった感性に訴えかける変化が多いようです。

その点、おひつやダッチオーブンがすごいのは、使っているうちに機能性が向上するところ。スペックアップです。これこそ、育つ道具の王様。

「物を大切に」なんてことをいうけれど、新品の時が一番綺麗で機能も優れていて使っているうちに、ただみすぼらしく性能も落ちてくる消費材と、おひつやダッチオーブンのような「育つ道具」では、「大切にする」ことの意味がまったく違う気がします。どんどん使ってどんどん育ちどんどん鍛えられどんどん丈夫になる道具に囲まれて生活ができたらこんなに素敵なことはないなと思うのです。

ペンを持った貴婦人
タク【20100111】 | 日々の記憶

9日のこと。月刊誌『ウォロ』の読者会に参加した。ゲストは「ゆきさん」こと大熊由紀子さん。元朝日新聞論説委員で主に医療・福祉分野で精力的な活動を続けるジャーナリスト。『ウォロ』の連載原稿は、とても優しい「ですます調」の物語で、現場で頑張っている人を取り上げてエールを送る。

ゆきさんは、ものすごく忙しいので、今でもそうだが、僕が編集担当をしていた頃も、締切をとっくにすぎて出稿間際になってからの攻防となる。電話をかけると「大熊でございます。いつもご迷惑ばかりをおかけして申し訳ございません」とご挨拶。「締切を過ぎた原稿が3つほどございまして順番に仕上げておりますところです」と続く。

だいたい毎月同じようなパターンだったのだけど、出稿日の午前中のメールがこうだ。「品川駅へ向かうタクシーの中なのですが、新幹線に乗るまでには原稿をお送りしますので」。それから数分後にメールで原稿が来る。「のぞみ○号で京都へ向かいます。途中、○時○分に名古屋駅に停車します」。

今ではもう、いつでもどこでもメールを受信出来るのかもしれないが、当時は、高速移動中はメール受信はできなかった。品川から名古屋へのぞみが走る間に、こちらは受け取った原稿に校正をかけ、デザイナーにメールし、レイアウトに流してもらい、そのゲラに校正をいれ、PDF化してゆきさんにメールで戻す。

ゆきさんは、名古屋駅停車中にゲラを受信。そこからさらに京都への移動中にチェックして、京都で最終の修正を返信。それを受け取り、直しを入れて、印刷会社へ出稿。

これ以上の綱渡りはないのだが、原稿の完成度は高く不思議と連載が落ちるかもといった心配はなかった。

さて、そんなゆきさん。実際にお会いしても物静かで優しく、とても丁寧な言葉をニコニコと話される。ふんわりとした印象だ。

だがしかし、その外的な柔らかさに騙されてはいけない。

記事に取り上げる人の基準は?の問いに「やさしいだけの人は書きません。今ある制度を破壊してその先にある理想が見えてる方を書きます。だから私が書く方は、今ある制度を破っている方」。だからきっと敵も多いだろう。書く上で配慮すべきこともものすごく多いはずだ。しかし、出来上がる記事はそういう難しさを微塵も感じさせない軽やかで素敵な文章。

振り返って自分はどうだろう。考えさせられることがたくさんあった。

甘くて柔らかい大福餅を頬張っているつもりが、いつの間にか腹の中にずしりと重たい石を飲み込んでいた。そんな3時間だった。

■ゆきさんの「ゆき.えにしネット」
http://www.yuki-enishi.com/

ライブ
タク【20100109】 | 日々の記憶

友人たまっちに誘われて、ライブに行ってきた。

「Irish Meets African」つまり、アイリッシュとアフリカンの両方の音楽がいっしょにたのしめると言うちょっと変わったライブ。なかなか不思議な感じ。

アイリッシュの笛やフィドルの特徴的な音、ギニアから来られたサーヨン・カマラさんのジェンベを叩く腕のしなりやたたずまい、珍しい楽器、アフリカンダンスの精密で激しい動きなどなど、いろいろと見どころがあって楽しかったが、なにより面白かったのは、僕自身の聴き方で、最初のアイリッシュの演奏を聴くときは、「この音だとどんな映像にあうかな」というのを自然に意識して、後半のアフリカンは、「この音楽でワークショップやるならどんな感じにすれば良いだろう」なんてことを考えていた。

なんだか良い刺激になった。誘ってくれたたまっちに感謝。

鍋炊き生活
マサ子【20100107】 | 日々の記憶

 買って間もない電気炊飯器の調子がおかしいので、メーカーに修理に出した。当然、そうなると炊飯器がない…。というわけで、始まりました、鍋炊き生活。

 ネットで炊き方の概要を調べ、まずは小さめの土鍋で3合炊き。おいしいやーん。ならば、とステンレス鍋で炊き比べ。うん、まあおいしいけど土鍋の勝ちだな。次は玄米に挑戦。こっちは炊き方がいろいろあって迷うがともかく挑戦。炊けるやーん。いいぞ、次は大きい土鍋で5合炊きに挑戦。おお、できたできた。しかし量が多くなると課題が出てくるな。おひつの必要性も痛感。

 というわけで、毎日楽しんでます。タイマー、保温機能に頼りまくってたので、お弁当の時とかどうしよう〜?!と一瞬うろたえましたが、やってみるとイケるもんですな。また一つ、生活力がアップしてしまった。

 玄米炊くのが時間かかるのでなかなかできてないんですが、また研究していきたいです。あーでもこれじゃ電気炊飯器よりもご飯炊き用の土鍋が欲しくなってきちゃったな…。電気炊飯器、戻ってきても出番がなかったりして…。

雑誌『NAVI』休刊
タク【20100107】 | 日々の記憶

自動車雑誌『NAVI』が4月号で休刊するそうだ。今では全く読まなくなったけれど、大学生のころ、毎月楽しみにしていた雑誌だった。

機械工学科だったこともあってクルマは好きだった。でも『NAVI』が好きだった理由はクルマ雑誌だったからと言うよりは、クルマそのものとさほど関係ない記事が面白かったからだ。僕が読んでいた頃は鈴木正文編集長時代で、脈絡なく左翼的傾向の強い記事が現れたりしてそういうのも新鮮だった。

矢作俊彦さんや神足裕司さんを知ったのも『NAVI』で、矢作さんは今でも大好きな作家だし、亡くなられたナベゾこと渡辺和博さんの自信たっぷりにわずかな隙間を通り抜けるような感性の連載も大好きだった。

クルマ雑誌のくせにクルマと全く関係ない記事がかなりあったりして、しかも、個々の記事で全く違う主張をしていたりして、そういう雑多なものを一つの媒体としてまとめあげているということにとても興味があって、僕が雑誌に対して憧れを持つようになった原因の一つでもあった。だから、読まなくなって10数年経つけれど、やっぱりちょっとさみしい気分になるし、申し訳ない気持ちも湧いてくる。買わなくなってごめんなさい。

そういえば、過去に好きで読んでいた雑誌って今はもう残っていない気がする。
『Beep』『LOGiN』『MACPOWER』、あ、マーパはかろうじて残っているのかな。ゲームやPCの雑誌だけれど、やっぱり、そういうメインのテーマからは外れた、ある種ふざけた記事が面白かったんだけどなぁ。

「雑誌、頑張れ」って思うけど、今やそう簡単じゃないし、真面目に頑張れば頑張るほど、そういうふざけた面白みは減っていっちゃうのかもしれない。

といいながら、実は小規模だけど雑誌を作りたいなと思って企画を温めています。今年、発刊できるといいな。

綿菓子のように、はかないネットワーク
タク【20100105】 | 日々の記憶

今日は職場の仕事始めで、恒例の互礼会があった。午前11時ぐらいから職場の仲間などで軽く飲みながら新年の挨拶をする会で、僕はこの職場で初めてこういう行事を知ったのだけど、この互礼会について、ささいなことだけど印象に残っていることがある。

何年か前の年末だったと思う。新年の互礼会に参加する人はどんな人かといったような話が職場で出た。僕の職場はNPOなのだけど、企業とは違って関わる人の立場が様々で複雑だ。僕のような有給の職員の他に、ボランティアで運営に関わるスタッフ、会費を払って支えてくれる会員、寄付をしてくれる人、似たような団体の業界的つながりのある人、業務上付き合いのある人などなど。そういうわけで、いったいどういう人が参加するんだろうか、というようなことで誰かが疑問を呈したとき、ボスが明快に言ってのけた。

「誰でも!表の道を歩いてる知らん人でもええねん」

このボス、この業界では結構な人なのだが、その場その場でウケを狙って適当な事を言う典型的なお調子もんでもあって、現実には、事務所の前をただ歩いている赤の他人が、正月だからと言ってうちの事務所の中に入り込んでいっしょに呑みたいと言ったときには、少なからず混乱が起きると思う。

だけどともかくその「誰でもええ」という言葉を聴いた瞬間に僕は、わけもわからず後頭部のあたりを掻きながら機嫌よくビールを呑んでいる見知らぬおっちゃんが互礼会の場にいる姿が思い浮かんで、その光景がやたらと面白いと思った。と同時に、僕の周りにある目に見えない鎖の輪っかの一つ一つが砕けるように弾け飛んでいくイメージが鮮明に浮かんだ。

その時その言葉は、その場にいた誰にも相手にされなかったと思うけど、僕はそういうわけで、そのやり取りを印象深く覚えていて、今日の互礼会の時もそれを思い出して考えていた。考えているうちに、はじけ飛んだ鎖の正体も見えてきた。

いま、社会で生きていくために最も重視される要素は人間関係だ。多少人より作業が速かろうと発想が独創的であろうと、結局のところ良好な人間関係を築けるかどうかが人の評価を決めてしまう。人が抱えるストレスの原因はほぼすべて人間関係によるものだと言ってもいいし、ホームレス状態になったり、自死を選ばざるを得なくなるのは、これらの「つながり」が失われた結果だ。

そのため、人は、より強く、より多くの人とのつながりを得るために努力することになる。新たな人と出会ったり、既存の知人関係を強化することで、その人が社会で「力」を持つ仕組みだけど、気をつけないといけないのは、その同じ努力が、人間関係の網目から外れた「他人」を排除する「力」を強化することにもなるということだ。排除された他人はもはや人ではなく、風景となる。

また、自分は太いつながりがあると思い込んでいた相手から「細い」扱いを受けたときにも、強い疎外感が生まれる。本来、自分を守り、自分の力をより引き出してくれると信じ、強化し続けていた人間関係が、実は、他人を排除するとともに、自分を縛る鎖になっていく。

そんな自分で自分を縛り付けていく鎖を「誰でもええ」は、軽やかに砕いてしまったわけだ。

「だれでも、道を歩いてる知らん人でも」、わけもわからないまま入り込んで、その場にあらかじめ存在していた強固なネットワークに組み入れられないまま、その瞬間だけ綿菓子のような細い糸でゆるやかに結ばれ、宴が終われば、じゃぁ!といって消え、いったいあれは誰だったんだろうねとささやかれる。

そういう「ふいに生まれふいに消えていく」軽やかな関係は幻想かもしれないけれど、そういう可能性を受け入れる心づもりをいつも隅っこに残しておきたいと思う。

ねずみが天井裏を走り回り
タク【20100104】 | 日々の記憶

夜中、ねずみが天井裏を走り回る物音で目が覚めた。
部屋に入ってくるルートはないので、ひたすら天井裏をあっちへダダダッ、こっちへダダダッ。

これまでにも何度かあったのだけど、うちに住み着いているというわけではなさそうで、おそらく外から入り込み、やがて出て行くよう。

でも、そのうち、壁や天井に穴をあけて顔を出したらと思うとさすがに恐い。
そのねずみがたとえ、片手に齧りかけのチーズを持っていたとしても恐い。

もちろんネコの「しっぽ」君もそわそわと落ち着かない。

うちの「しっぽ」は狩りがうまくて、そういえばときどき家の外でねずみも捕ってくる。
獲物を飼い主に見せに持ってきて、まだ動くやつをさんざん弄んで、動かなくなるとすっかり食べてしまう。
ねずみだって生き物だし、ネコだって生き物だけど、アニメのような感じにはならなくて、最後は血の臭いが充満し、ねずみの尻尾だけが残っているような、なかなかすごい状況になる。

あれが部屋の中で展開されるのはかんべんして欲しい。

天井裏には食糧になるような物はなんにもないので、ねずみも間違って入ってきてるんだと思うけど、どこから入ってるのか突き止めて穴をふさいでおこうかな。